夢の富士登頂

夢を叶えるブログ

大晦日の思い出

大晦日に娘の一家が来た。
筆頭孫は高校2年、次は小6、次は小1.
まあ皆健やかに育っていることがありがたいことです。
カミさんと娘が買い物に行く。
帰って来て、おにぎりの昼食。
その後カミさんと娘が忙しそうにお正月の支度をしていた。

私は孫と庭の掃除。
小さい庭なのに落ち葉がすごかった。
孫たちは落ち葉拾い。
私は雑草を根っこから引き抜く機種で抜く。
冬だというのに雑草はたくましい。
しっかり根を張っている。
約2時間の作業で庭はまあまあ見られるようになってきた。
3時のおやつ。饅頭とせんべいとお茶で一服。

その後一休みする。
孫たちとトランプで遊ぶ。
6時過ぎには早めの年越しそば。
エビが2本入っていた。
まあまあの味だ。お店のソバとそん色ない。
その後皆でテレビを見ていた。
そのうちに紅白歌合戦
若い人が多い。私たち年寄りにはあまりなじみがない。

その後9時過ぎになった。
孫たちが眠くなってきたので、上生菓子と福茶。
9時半に下の孫たちを風呂に入れる。
温泉の素を入れてあるので、孫たちは温泉みたいとはしゃいでいた。
頭も洗ってあげた。1年の総仕上げだ。
その後孫たちは床に就く。

私たちはまだテレビを見ていた。
紅白歌合戦も終わり、行く年来る年。
これで就寝。
まあ皆大病をしなくて、無事に過ごせてよかった。
宝くじの夢でも見ながら寝るとしよう。

恐怖の初詣の思い出

毎年、初詣に、日光へ行く。
羨ましいと、思う方が私の友達の中に多くいる。
栃木県内でもかなりいるのだから、関東圏いや全国の莫大な方から羨望のまなざしを向けられてもおかしくはない。

故に、日本国内だけでなく海外の方にも注目のスポットなのである。

その事件は二年前に起こった。
日光二荒山神社でのお詣りが終わり、いつものようにおみくじをひく。
ここのおみくじは私には相性がよく、大吉をかなりの確率でいただく。
その年も、大吉であった。
お持ち帰りである。
大吉とか、いい結果のものは持ち帰り、あまり希望にそえなかったおみくじは結んで奉納。と、聞いたことがあり、それ以来守っている。

笑顔で輪王寺に向かう。
お線香にハマっていて、必ず購入している。
朝、寝床の空気を浄めたり、掃除時に香らせる。
清々しい。
自分へのご褒美である。
生活の一部である、お線香を選ぶのである。
真剣である。
人目を気にせず、お線香に鼻を近づけ嗅ぐ。

かなりの時間を費やした。
気がつくと、主人がいない。

キョロキョロしていたら、外国人カップルと目があった。
私の顔は純粋な日本人である。
鼻は寒さと先程のお線香選びで、赤く広がっていたとは思う。
普通の日本人なら寄ってこない顔、かえって、警戒して距離をおきたいと思われる雰囲気をも醸し出していたと思う。

寄って来た。来る来る。
話しかけて来た。
outです。
これ以上私に向かって口を開かないで。

先程鼻を鋭く使ってお線香を選んだことが功をそうした。
この人。。近くにいた大学教授に見えるジェントルマンに話しかける。
匂う。いい意味この人は英語が話せる。
そう直感が教えてくれる。

だてに、大吉を引き続けているわけじゃない。
鼻を赤くして嗅覚を尖らせていたわけじゃない。

外国人も笑顔になり、大学教授風のジェントルマンも自尊心を満たされ笑顔である。

英語やろう。もう一度やろう。と新年早々決意した。

日光へ今年も行く。
一大決心である。
羨ましいって、それでもみんなは言う。
三日坊主の私が英語できるようになるわけもなく、
神社仏閣の単語自体難しいに違いない。と、すぐに諦めたのではあるが、
よくよくあの時の会話を思い出すと、トイレの場所を聞いていたような気がする。

真っ赤な鼻でか女ならば、おばさんで、誰彼構わず、話しかけどうにかしてくれる…
と、今のガイドブックに書いてあるのだろうか。

明日行く。
若作りして行くことにした。

 

生きているうちに1回は

今、38才ですが、生きているうちに1回は富士登山したいな~と思っています。
富士山が世界遺産に登録されたということもあり、富士登山がとても人気みたいですね。

人気にあやかるわけではありませんし、気軽に登れるとも思っていませんが、たくさんの人が登っている映像などを見ると、頑張れば私にもできるかも?と思ってしまいます。

山に登るには、それなりのトレーニングと装備が必要だとはわかります。交通費もかかりますよね。
ああ、体作りと同時に資金作りも頑張らねば。

装備をそろえるのはお金がかかるので、レンタルできるものはレンタルして~とか、情報集めも大切ですね。
いつ達成できるか分かりませんが、絶対登頂したいと思っているので、少しずつ準備を整えたいと思います。